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「ちはやふる」⑤ 末次由紀 [マンガ感想]

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待ち遠しかった。
ほんとうに楽しみにしていたのです、第5巻!

前巻で、茅の輪をくぐって現れるというこれまでの漫画史上もっとも神々しい初登場シーン(?)を飾ったクィーンとの初対決がこの巻で描かれるからです。
手に取ると、コミックスの帯にこんなキャッチコピーが書いてありました。

「ライバルにすらなれない強さがある」

いやがおうにも期待が高まります。

さて、前巻では、そんなクィーンとの邂逅の余波なのか、突然の体調不良となり、団体戦を棄権してしまった千早(ヒロイン)。
この第5巻、個人戦でついにクィーンと激突します。

考えてみますと、競技かるたの場合、取り札の枚数で優劣を競うわけですから、圧倒的な力の差を示すには、その枚数差を描けばいいわけです。
たとえば、一枚も取れなかったとか。
でも、それで読者は納得しません。
どうしてそんなに差がつくのか、その強さの根拠を描いてもらわないと説得力がないのです。

ですから、「ちはやふる」ではクィーンのかるたはこのように表現されています。

「真空を飛ぶ針のような音のしないかるた」

素晴らしい表現だと思います。
「真空を飛ぶ」とは、対戦者がだれも障害となりえないということ。
「針のような」とは、取り手の正確さ。
「音のしない」とは、その卓越したスピードを表現しています。

そして、この表現を裏付けるかのような展開がつづいていくのです。
これまでは天才的な強さを発揮してきた千早ですが、そんなクィーンのかるたのまえになす術がありません。
一枚もとれないまま、次第に気持ちが折れていきます。
千早は、ほんとうにライバルにすらなれないのでしょうか。
果たして、千早はクィーンに勝利することができるのでしょうか。

これから読もうとするかたのために、その結果はあえて記しませんが、第5巻も期待以上の面白さでした。
クィーン初対戦以外にも、この漫画最大の読ませどころである熱いセリフも健在です。
そのうち、名言集でもでるのではないでしょうか。
とにかく、登場するキャラすべてが、かるたに対して真摯であり、ひたむきな情熱を見せてくれるところが読んでいてとても心地いいです。

これからも期待しています。
復帰してくださったことに感謝したい気持ちでいっぱいです。

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いまごろ「トマック」で遊んでみた。 [ゲーム感想]

どうしてだか分かりませんが、無性にPS2の「ラクガキ王国2」が欲しくなりまして(笑)、中古ソフト屋を探していたところ、この「トマック」を見つけました。

以前話題になっていましたし、ネタにちょうどいいかという事情もありまして、ついつい購入してしまいました(安価でしたし)。
でも、こういう本命を外した買い方というのは、得てして失敗を招く場合が多いのも確かです。
さて、「トマック」はどうだったでしょうか。

ご存知のかたもいらっしゃるかもしれませんが、「トマック」とは、「プリンセスメーカー」より始まる美少女育成シミュレーションの系譜に連なるゲームです。
「トマック」とは「端っこ」とかの意味だそうです。
もとは韓国のPCゲームで、サンソフトが日本のPCとPS2へと移植しました。
植木鉢に植えられた美少女の「生首」を育成するという、ある種の奇抜さが当時話題になったのを記憶しています。

いつもどおり、あんまりマニュアルに目を通さないまま、ゲームスタートしました。
OPムービーはまずまずだと思いました。
こんなふうな展開があるのなら楽しめるかもしれません。
それから、ゲーム開始後に、ゲームの状況に至るまでのいきさつが説明されます。

要約すると、
人間に絶望した天上の神々が、絶滅させたほうがいいと話し合っています。
それに唯一異議を唱えたのが、「美」の女神。
人間の世界には、まだ真実の愛が存在すると主張します。
ですが、逆にそれを証明するよう迫られ、自ら人間界へ赴くこととなってしまいます。
ただし、なにせ「美」の女神ですから、そのままの姿だと、人間から向けられた感情が真実の愛なのかどうかが分かりません。
そこで、「首」だけの姿(!)になって、人間界へといくことになったのです。

この「真実の愛」の解釈は、なんだか首をかしげたくなるような気もしますが、このあたりは「生首」育成ゲームを成立させるための方便なのでしょうから、あんまり深くは追求しないことにします。
(つきつめれば興味深い問題だとは思いますが)

さて、ゲーム開始です。
自分の名前は、「サムソン」にして始めました。
「生首」の名前と髪型などは設定可能です。

さて、しばらくいろいろ試してみたのですが、できることがあんまり多くないのが気になりました。
部屋で「生首」と生活している訳ですから、変化に乏しいのは仕方ありませんが、ひととおりコマンドを実施してしまうと、あとはただローテーションを繰り返すだけです。
そして、できることがただでさえ少ないのに、アイテム購入が条件だったりするものもあり、また、序盤は所持金も少ないので、そのアイテムすらもじゅうぶんに買えないという二重に我慢を強いられる展開です。

週一回、主人公だけは外を散策できるので、それを中心にイベントがいろいろ発生するようです。
そのうち、「生首」をつれて外出なんかもできるのでしょうか。
それは少し楽しみです。

我慢しつつも、なんとか一ヶ月を越しました。

すると、ここでびっくり!
「生首」が別のキャラに変わりました。

のっぺりしたタッチの絵になり、セリフもダルそうなことばかりいいやがります。
もはや、「美」の女神の面影はみじんもありません。
ただし、ここで予想外の楽しみが発生しました。
いい忘れていましたが、PS2版では「生首」のキャラボイスを榎本温子さんが担当されています。
「生首」のダルそうな声は、思わず「ゆきのん」(「彼氏彼女の事情」)を思い出させてくれて、なんだか微笑ましかったです。

というわけで、これはこれで面白かったのですが、それにかまけていたせいか、二ヶ月目を終了した矢先、悲劇が起こりました。
いきなり、世界が滅亡してしまったのです。
いや、本当に。
それで、ゲームオーバーになってしまいました。

‥‥‥あまりのことに、なにが起こったのか、把握するまでしばらく時間がかかりました。
どうやら、人間に真実の愛はないと判断されて、神々に世界が破滅させられたようです。

これではあんまりなので、マニュアルを読んでみました。
どうやら、触ってあげるなどのコミュニケーション不足だったようです。
加えて、温度や湿度にも注意しなければならず、置き場所への配慮も足らなかったようです。

で、再スタート。
今回はすこし気合も入っています。

でも。
‥‥‥今度は、7日目で終わってしまいました。

なにが悪かったのか。またどうすればいいのかさっぱり分からなかったです。
それに、なにより楽しくありません。
ぜったいに拒否できない訪問販売とか、とてもストレスがたまります。
「生首」にとって不快な環境にならないように気をつかったり。
訪問販売を安くで購入するイベントがあったり。

「こうすればこういう嬉しいことがあるよ」というのではなく、「こうすればリスク回避できますよ」というふうに、ゲームの設計思想が向いているような気がします。
ですから、遊んでいて楽しくなるような瞬間があんまりありません。

それに、人類滅亡イベントはいきなり発生するのに、肝心の「生首」の表情変化が一ヶ月単位で行なわれるというのもどうかと思います。 
対象キャラの反応が並行して起こらないと、なにが良かったか悪かったかという判断がつけづらくなってしまうからです。
こちらの行なったことによるパラメーターの変化が、状況の変化をどう生み出すか。
これを楽しめなければ、ゲームを続ける意欲が薄れてしまい、楽しいはずのゲームが単なる作業の繰り返しとなり果ててしまうのです。

ふと考えてみるに、
育成シミュレーションとは、対象となるキャラ(マシンでもよし)のパラメーターを上昇させながら、遊んでいるこちら側も、知らず知らず心の中にあるパラメーターを上昇させられていく。
それは、「親密度」「恋愛度」とか「熱中度」とか、あるいは「中毒度」とか。
そういうものです。
本当の意味での隠されたパラメーターをプレイヤーのなかにも生じさせるもの。
そういうものが優れた育成ゲームなのではないでしょうか。

このゲームには、そういう一番大事な要素が「欠落」しているように思いました。


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